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第四集配布、第三集WEB公開、始まりました📗

〈カフ ON〉
「ということで、お送りしたのはデジタル和菓子の新曲、ユーとピアでした。TOKYO CULTURE WAVE このあとはお知らせからの交通情報、そしてチルでもアガるDJミックスの時間です」
〈カフ OFF〉
 緩やかなギターの音色でジングルが流れ始めると、ハルは「ふぅー」と息を吐き出した。思っていたより声は震えていない。動揺もしていない。大丈夫、放送に集中できている。ここからCMを挟んでトラフィックインフォメーションの受け、そのあと十分間のミックスが流れるコーナーへと続く。ハルはテーブルの端に置いていたびんを手に取った。びんの中に半分ほど残っていたサイダーが波打ってシュワシュワと口の中に流れ込んでくる。
「ケータリングに炭酸入れてくるとか、清水ちゃんマジで生放送ナメすぎやろ。喋り手が放送中にゲップしたらどうすんねん。AD経験まだ浅いからしょうがないけど、あとでシバいとくわ」
 放送作家のマリさんは笑いながら、リスナーのメールをライン工みたいに仕分けし、青ペンで不要な文章をカットしていった。彼女が手際よく動かしている水性のサインペンは業界では作家ペンと呼ばれていて、日替わりで訪れる放送作家全員がそれぞれの作家ペンを持っていた。今日は月曜だからマリさんの日だ。赤ペン率が高い作家陣の中でマリさんだけは青いペンを使っている。以前、理由を聞いたら「あたし海が好きなんよね。それにほら、マリって音的にマリンっぽいやん。だからマリンブルーの青」と、それっぽい理由を答えていた。

 ハルが十年付き合っていた彼氏と別れたのは昨晩のことだった。浮気、裏切り、婚約破棄……全て自分には縁のない言葉だと思っていたが、それらが一気に目の前に現れると自分の体が溶けてなくなってしまう感覚を覚えた。波調の合う相手はこの人しかいないと思っていた──そんな情念に囚われていたが、それでも沈んだ太陽は何食わぬ顔でまた昇ってくるし、夕方の四時になればお決まりのオープニングジングルが流れて生放送が始まってしまう。どんなことがあっても笑声(えごえ)で原稿を読み、曲振りをしてリスナーの悩みに応え、最新のカルチャーニュースを電波に乗せて紹介していかなければならない。約十万人が聞いている夕方の時間帯、ハルがラジオの帯番組を担当するようになって二年近くが過ぎていた。

「ハルちゃん、今日元気ないけどなんかあったん?」
 マリさんの声はいつもアイスコーヒーのように凛としている。ハルはカフが上がっていないことを確認し、いつものマイクを通した声より少しだけトーンを落とした。
「いや、ちょっと。昨日嫌なことがあったんですよねえ。まあ、個人的なことで、大したことじゃないんですけど」
「人生なんて波みたいなもんやから、そういう日もあるって。元気がない時は元気がない声で放送してもええんよ。無理してる方がリスナーも嫌やし、パーソナルな部分が出てこそのパーソナリティーやん」
 マリさんはそう言いながら「はい。そんな人間味あふれるハルちゃんにプレゼント」と、リスナーから来たお便りを手渡してきた。

【三十六歳 女性:先日、夫と別れました。逆に自由を謳歌してやろうと思い、今年は友達とビーチフェスに行ってハシャギ散らかしてきまーす】

 メッセージにはマリさんが青ペンで柔らかい波線を横に引いていて、その隣には太陽とビーチパラソルの絵が描かれていた。
「ま、人生考え方次第やねー」
 マリさんは八重歯を見せて花のように笑い、次のゲストコーナー打ち合わせに行くと言ってスタジオを出て行った。
 ハルは残りのサイダーを一気に飲み干してびんをお便りの前に置いた。空きびんの向こうにはマリさんが描いた青い波線と太陽の絵が透けて見える。落書きの空と海が一瞬だけ本物みたいに思えた。